
東京都生まれ。四川料理の第一人者である父陳建民と日本人の母の間に生まれる。
父は結婚後日本へ帰化済みだったので、建一の国籍は日本。中国系日本人2世。一部では陳健一という表記もあるが、これは誤り。
玉川大学文学部英米文学科卒業後、父建民の元で本格的に四川料理の修行をする。
現在、四川飯店グループオーナーシェフとして後進の指導にあたる。
1993年〜1999年、フジテレビ系列で放送された、『料理の鉄人』の中華の鉄人として名を馳せた。コスチュームは黄色。
登場シーンでは、片手に中華包丁を手にしていた。番組開始当初から最後まで出演し続けた、ただ1人の鉄人でもある。
また、史上初めて敗れた鉄人でもある(挑戦者は同じ中華料理の程一彦)。
父の建民は日本に四川料理を紹介した功績で「四川料理の父」と言われており、
建一の得意料理「エビのチリソース」は父のレシピを受け継いだもの
(TBSの番組、「噂の!東京マガジン」でも披露された。
冷凍エビの臭みを取るために一旦茹でてから、かなりの短時間に油で揚げるというアイデアで、多少危険な調理法)。
番組でも常に父親と比較され続けていたが、番組出演によって父を超えたとの声もある。
以前から陳は何かに挑戦する必要性を感じていた。そして番組構成に興味を引かれ、出演を引き受けることになった。
6年間という長い放送期間で、陳は何度か番組を離れることを考えている。
番組が始まって以来、オーナーシェフを務める四川飯店は連日予約でいっぱいの状態であり、店をしっかり守りたいと考えたからだ。
特に番組開始3年目の頃には、実母が亡くなるなど私生活上の要因もあり、実際に番組スタッフに降板を申し入れている。
しかし結局は、フレンチの鉄人坂井宏行に説得され、「どちらかがやめるときには一緒にやめよう」という約束で鉄人を継続したという。
6年間で、92回にのぼる戦いを重ねた。成績は67勝22敗3引分け。また「17連勝」という、鉄人史上最長の連勝記録を誇る。
当初は、「もっとも弱い」や「女性挑戦者に弱い」と言われてきたが、戦うごとに成長を重ね、名実共に鉄人の重責を担う存在となった。
最も壮絶だったのはラ・トゥール・ダルジャンのドミニク・コービーとの試合。
1戦目で引き分けたため、2戦目で決勝を行うが、またも引き分けとなる。
主宰の鹿賀丈史が「両者とも勝利」と宣言した勝負は、長い番組の歴史の中でもこの時1度きりである。
鉄人としての多大な功績とは裏腹に、陳はいつも愛嬌たっぷりで、勝利すると毎回ホッと胸をなでおろす純朴な面を持っていた。
調理中はしばしば味見をするのが特徴で、蒸気立つ鍋の中にお玉を入れては味見をし、そのお玉で調理を続けた。
番組の中ではこの習慣が出るとユーモアたっぷりに「陳がまた食べる」とコメントされた。
オーナーシェフを務める四川飯店グループは、赤坂、池袋、六本木、徳島、呉、松山、博多で店舗を展開中。
生まれて初めて作った料理は、中華ではなく「マカロニグラタン」であることを自身の公式ホームページで述べている。
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